2015年5月20日水曜日

今朝のこと

「大丈夫?」


子供の頃に友達がかけてくれたこのひと言が、
今の私の人生の始まりだったように思います。

大切にしてきたシールも執着してきたおもちゃも、
この目の前の友達に比べたら、
すべてが本当はどうでもいいことだったんだと気づきました。


それまで考えもしなかった、そのあまりの衝撃と嬉しさに、
涙が止まらなかったのを覚えています。


小学校5年生の頃のことでした。自分の本当の気持ちを理解してくれたり、
心配してくれることの優しさが、こんなに温かいものだと知ったのはその時でした。


生まれて初めて、嬉しくて泣いた瞬間でした。


たぶん、その友達はその時なぜ私が泣いているのか
理解できない様子だったと思います。
私もその時は、うまく説明できなくて、
ただ氷が溶けたみたいに泣いていました。
ありがとうの涙、だったんです。


小学2年生の時に1回か2回、
それ以来小学校時代に私は人前でほとんど泣いた記憶がありません。
今よりうんと冷めた子供でした。

周りにはただ自分勝手な子だと映っていたと思いますが、
本当はそれに加えて気が小さくて、甘えたがりで、寂しくて、
独りよがりで、我がままな子供でした。

そして、人に本当に自分の気持ちを分かってもらうことなんて、
とっくに諦めていました。両親は、私のことを世界一愛してくれていて、
それで充分でした。


だから、私がどんな気持ちなのかについて、
その時友達が心配してかけてくれた言葉に、本当に驚いたのです。
私なんて、人から心配されたりする人ではないと思っていたからです。
その子は誰からも好かれる子で、面白くて優しくて、
でもなぜかこんな私といつも一緒にいてくれました。


中学校では私がうんと遠くの学校に行って、それきりになってしまいました。
彼女は誰からも好かれるし、
彼女にとって私は取るに足らない友達の1人だと変な遠慮から、
こちらから連絡をすることもありませんでした。

そして、そのうちに疎遠になっていました。
今朝ふと、私は全然彼女に何にも返せていないなぁ、
彼女は今どうしてるかな?そんなことを思って目が覚めました。


本当に大切なことに、気づかせてくれてありがとう。


でも残念なのはそれから大学くらいまで、
自分が人にわかってもらうことに執着するばかりで、
結局私は、自分が人の気持ちを理解しようとすることに、疎かったのです。


それから心理学を勉強した時、そういうことだったのか!
とものすごく衝撃を受けました。


そして、私は本当は人の気持ちのことも、わかりたかったんだと気づきました。
それからちゃんと相手のことに寄り添うことができたら、
人の気持ちに、触れられることもわかりました。


昔自分がしてくれてあんなに嬉しかったこと、今、誰かに返せたらいいなぁ。

2015年5月16日土曜日

お寿司職人

わーーーーすごいーーー。美味しいーーー!
そこには、確かに感動がありました。
すぐ目の前のお寿司職人さんが、すぐ目の前の自分を思って、
沢山の引き出しの中から、作ってくれるのです。


すべてをお任せにしていて、次に何がでるのかわかりません。
何だろうこの、ワクワク感は。


作り手と話ながら食べられるなんて、すごい喜びを経験しました。
私も写真で、お任せと言われたときの、
痺れるような緊張感と、それに答えようと全神経をもって、
その人に寄り添うための手がかりを探します。


一番最後には、シメのお任せをとお願いすると、
いくつかの質問をいただきました。
でも、それは直接的なネタのことではないです。


味覚と気持ちがくっついた質問でした。
私はその時、自分が最後に何を食べたらいいか分からなかったのです。
それを、質問と今日食べたものの中で見せた、
私の表情から読んでいるようでした。


そして出て来たネタを食べた瞬間、


めっちゃ、正解ーーーーー!


私が自身では絶対に具体的には言い当てられなかった、
それなのに、まるで私の舌と会話したみたいに、
今の私の求めるピッタリのネタが出て来たことに感動しました。


感動しながら食べる私を見て、
お寿司職人さんが、今日はゆっくり眠れます、
と言ってくださっていました。
私もお客さんの反応、すごく気になりますし、とてもよくわかります。



最近出会った人に、本物を食べなあかんよーって言われて、
その意味がよくわかった経験のひとつでした。


東京で本物を知る五感磨き、味覚編にも力入れていきたいです。


これだ。この素晴らしい感動の体験、
連れて行ってくださった方に本当に感謝です。


今度は自分でお金をためて、この感動に会いに行こう。





2015年5月6日水曜日

本当の気持ちを言える場所

24才くらいのころ、世の中には、どうにかしたくてもどうしようもならないことが、
あるんだなーって、気づきました。


その頃の私はまだ夫と出会う前で、
そのことのために、ひとりでずっと泣いたり、ひとりでそのために何か、
当時の自分ではそれが有効だと思う、ダサくて意味のないことをしていました。
そして少し効果があったような気がして、
ときどき救ったつもりになっていたりもしました。



何にもできないのに、頭のなかはそのことでいっぱいで、
でも、心配していたり、悲しんでいることは、絶対に悟られないようにしていました。



あのころの自分は、いっぱいいっぱいで、
とてもでないけど、身近な人にほど、その本当の悲しみや不安については、話せませんでした。
一番大切な人たちを、悲しませたくなかったからです。
でも同時にそのことが、私の生きる原動力でした。
どんなことになっても、私がなんとかする。
なんとかする力がないにも関わらず、それだけは信じていました。



今考えると、当時の自分にかけてあげたい言葉がいっぱいあったなーと思います。
それは身近な人でなくて、遠い人の方がいいと思うのです。
本当の悲しみみたいなものは、知っている人にほど見せにくいからです。



今でも、ずっとそのことが私のどこかに生きています。
だから、どうしようもないこと(と本人が感じている)を目の前に、
なんとか奮闘する人を見ると、応援したくなります。


できたら写真がその人の次の一歩へ進むための、
きっかけになればいいな、と思っています。


その人の魅力をもっと知って、表現するために、
撮影の時に伝えることがあります。

あなたは私の前で、どんなあなたでもいい、
だって私はそもそもまだあなたのことをほとんど知らないし、
私はあなたがどんなあなたであっても、
あなたにどんなことが起きていても、驚かないし、評価もしません。

抱えている本当の気持ちを話すことで、
自分でも知らない自分について、見つかることがあるんです。
そして写真でその自分を眺めることもできるんです。
それによって自分に対する見方が、少し変わることもあります。

話したくないことは話さなくてもいいし、
もし話したいと思うなら、ここは、何をどう話しても、本当の気持ちを言ってもいい場所です。




2015年5月3日日曜日

しずくのこと

今日は久しぶりに散歩をしようと決めていました。

でも、仕事が終わったら雨が降ってきて、

レインシューズもレインコートも東京に置いてきたので、

雨の中をビニール傘に革靴で歩きました。



靴を濡らしたくなかったので、傘をうんと前に倒して歩くと、

雨のしずくが、透明な傘を伝って落ちる様子が思いのほか綺麗で、

傘越しの景色に見とれてしまいました。



おかげで、髪の毛と背中はびしょ濡れになっていました。

でも、その甲斐があるくらい、しずくと夕方の空と街の夜景は、

息をのむほどに綺麗でした。

カメラを持ってきたらよかった、と後悔するほどです。



携帯もお財布も何も持たずに、ただ散歩をしながら考え事をしたかったのですが、

そのことを忘れるくらい、伝っていくしずくとその風景に惹かれました。



帰る頃には結局、お気に入りの靴もびしょ濡れになってしまったけれど、

やっぱり雨の今日、ビニール傘とこの靴で散歩をしてよかったと思いました。



私は雨のしずくのデザインが好きですが、

実際には雨がしずくのような形をしている瞬間なんて、

ほとんど出会ったことがないです。

ぽたっと落ちる、その瞬間にしかあの形にはならないと思います。

それにしても本当に上は尖っているのでしょうか?

落ちていくときは、丸い気がします。



今日の傘に当たる雨も、どれも真ん丸か楕円でした。

傘に当たってはじけたり、纏まったりして、つーっと流れていきます。

あのしずくのデザインは、誰が考えたのでしょうか?



次は絶対にカメラを持って出かけよう。

次の雨の日が待ち遠しいです。




2015年5月2日土曜日

今日のローレフォト

大道芸人、というとどんな人を思い浮かべますか?



特定の芸をするのが得意な人、
芸を磨き誰にもできない技を極めるのが好きな人、
というイメージを私は持っていました。


でも、今日出会った方はいろいろなジャンルができる人で、
同じ芸ができる人なら何百人といる(とおっしゃっていた)けれど、
そこにその人にしか思いつかないようなアイデアをプラスしたり、
目の前の人に合う芸の引出しを、持つ人でした。


常に色んなアイデアを考えていて、
その中から1~2割を実際に取り入れているのだそうです。
目の前の人をなんとか喜ばせたい、
なんとか楽しい気持ちになってほしい。
それを考え続けて、20年。


芸だけでなく、場所や人に応じて、
流す音楽、音量、道具に至るまで、その時の相手に合わせて細かく考えます。
そのためのことを常に考えていて、
例えば、喫茶店で何気なく流れた音楽でも、
気になるものは聞いてメモして帰られるそうです。


話をされるその人の表情は真剣そのものでした。
本当に人を楽しませる遊びを、本気で考える。
その姿勢がすごく素敵でした。


今日私が撮影前に膨らませたイメージは、
思いっきり笑顔で、いかにも面白おかしそうな感じより、
じっくり考えて、優しく場の空気を読む、その人でした。


ショーをしている時は、常にお客さんの表情を見ているそうです。
それによって、次にすることを考えながら、
相手に寄り添っているんだと思います。
すごい優しさに満ちていると感じました。



写真を選ぶとき私は、お客さんの意見を尊重します。
でも、聞かれたら私の考えを伝えます。
相談されたので、撮影前にお話ししていたイメージとぴったりの、
その人の優しい表情を選びました。



きっとその人のショーはアイデアと工夫と、
それを見る人たちの笑顔に満ちているんだろうなー。


いつか、芸をするその人に会いに行こう。


http://atorietorako.com/